カスミとスミカ

 (かすみ)は海を見ていた。

「……」

 公園から見る海は穏やかだった。

 町のざわめき。

 向こうに見える公園が反射する太陽の光。

 暖かく吹く風。

「……」

 そんな、なんでもない風景を霞は見ている。ちょっと遠い目をして。

 ──そう。そんな風景が実は、とてもとても大切なものであるかのように。

「かすみちゃーん!」

「!」

 女性の呼び声がし、霞は振り向いた。長い銀髪が風に揺れる。

「かすみちゃーん!」

「……」

 遠くから駆けてくる女性の姿に、霞はクスッと笑った。

 ──そんな大急ぎでくる必要も、叫ぶ必要もここにはないのに。


 学園を卒業してもう何年にもなるが、霞と純夏は今も仲良し以上だった。大学でも同じ道に進み、その姿は時として純夏の婚約者である白銀武すらも嫉妬させたと言われている。

『同じ紙の表と裏』──そんな巷の下馬評があるほどに。白銀との三角関係も噂されているが本人たちはどこ吹く風。白銀も含む本人たちは否定しているものの、真偽は謎とされている。

「うちの両親なんかいまだに首ひねってるよ。飛び級の特待生と三人で研究室に入るなんて私とタケルちゃんにできるわけないって。ひどいよもう!」

「ふふっ」

 喫茶店でぼやく純夏の仏頂面をみつつ、霞は目を細めて微笑んだ。

「まぁ学園時代よりはマシだけどね。あの頃なんてさ、わたしもタケルちゃんの成績がいきなりあがった時なんてふたりで不正したなんて言い出すしさ。実際は霞ちゃんにふたりして勉強教えてもらってただけなのにね〜」

「そうですね。おふたりはただ『やればできる』を実証しただけですが」

 そういって霞はオレンジジュースのストローに口をつけた。

「純夏さんもタケルさんも必要な能力は持っていました。本来持っている能力を使わせるだけなんだから楽なものです。なにしろ、自覚してもらえばそれだけでいいんですから」

「……そうだよね。あの頃霞ちゃん、いやに明確に断言したもんね。ふたりいっしょに白陵大入るなんて簡単だって。わたしたちは元々そのくらいできるって」

「はい」

 純夏はレモンスカッシュに口をつけながら……小さくつぶやく。

「それってやっぱり……深い意味があるの?」

「いえ、これは単なる観察の結果です。それに」

 霞はにっこりと微笑んだ。

「タケルさんが『やればできる』のは純夏さんもご存知でしたよね?」

「そりゃあね。タケルちゃんはなんでもできる。やらないだけだよ」

「はい。で、私はその純夏さんがタケルさんと同等かそれ以上だとわかっていた。それだけです」

「……」

 困ったように苦笑する純夏。にっこりと笑う霞。

 そして、窓辺に暖かい陽光。

 ふたりは一種、不思議な空気をまとわりつかせていた。


「それにしても」

「はい?」

 喫茶店を出てふたりは歩いていた。

「その話もっと聞きたいな。霞ちゃんがよければだけど」

「……」

 霞は首をすくめ、春用コートの襟をたてた。

「ねえ霞ちゃん」

「……」

 純夏は霞の前に回った。

「霞ちゃんは、わたしやタケルちゃんを苦しめたくないんだよね?」

「!」

 霞の表情が驚きに変わった。

「……どうして」

「わたし、ずっとひっかかってたことがあるんだけど」

 純夏はにっこりと笑った。

「霞ちゃんが転校してきたあの日……タケルちゃんを見た顔。泣きながらわたしにありがとうって言ったこと。あれはそういう事なんでしょ?」

「……」

「何度かうちにお泊まりにきた時には困った顔して教えてくれなかったけど、それってつまりそういうことなんだよね?」

「……」

 次第に、純夏の顔は泣き笑いになってきた。

「……?」

「かなしいこと、あったんだよね?」

「!」

 霞の驚き顔が歪んだ。

「つらいこと、いっぱいあったんだよね?」

「……」

 純夏の身体が霞をコートごと包み込んだ。

「ごめんね霞ちゃん。わたしもタケルちゃんも、何も覚えてなくて」

「……!」

 純夏の腕の中で、霞の顔が涙に濡れた。

「お願いだから話して。少しでもいい、その荷物をわたしにもちょうだい」

「……すみかさん」

「つらいならタケルちゃんには内緒でいい。だけどわたしには話してほしい。これはね霞ちゃん」

「……」

 純夏の両手が霞の頬を押さえた。

 霞は純夏より小さい。だから、霞は至近距離で純夏をみあげる形になった。

「──私もはっきりと『覚えてる』わけじゃないんです」

「うん」

「何より、厳密にはそれは『私』の想い出じゃないって香月先生はおっしゃっておられましたし」

「香月先生が?」

「はい」

 霞の手も純夏の頬に伸びた。

「だけど……それはほんとうのこと。つらいこと、かなしいこと、さびしいこと。そして、とてもあたたかかったこと」

「……」

「きっと純夏さんは信じてくれないと思いますが」

「ううん、そんなことないよ。霞ちゃんはタケルちゃんの次によくわかる。だからきっと大丈夫」

「……わかりました」

 ふたりは抱きあったまま、そんな言葉を交わした。


 その小さな事件を目撃した人々の口から、「かすみとすみかの爛れた関係疑惑」が本格的に流れはじめることになった。

 いやそれはまた、別のお話である。


(おわり)

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